こんにちはたのしくいきたいこです
子供の時から追い続けてきた夢が叶いそうにないと感じたらこの先どうやって生きていけばいいか分からなくなりますよね
私自身も漫画家の夢が叶いそうになく絶望の日々を送った事があります
そんな私だからこそ同じように夢が叶わないかもしれないと落ち込む人に伝えたいことがあります
本日の記事は夢が叶わなくても生きる事を諦めないで欲しい理由を
・今まで頑張ってきたことは無駄にはならない
・夢は1つしか駄目なんて誰も言っていない
・人生を楽しく生きるために
の3つの項目からお伝えします
今まで頑張ってきたことは無駄にはならない
夢が叶いそうにない場面に遭遇すると
「自分が今まで頑張ってきたことは全て無駄だったんだ」
と考えることがありますがけして無駄にはなりません
今まで夢を追うために頑張ってきた道には
知識・経験・心の成長
などの種が植えられたはずです
それはこの先も何かの時に必ず役に経ちます
私も漫画家の夢を諦めた時に色んな事を犠牲にしながらも頑張ってきたこの数年は何だったんだと自分を責めました
しかしその時に植えた「絵を描く」という種が今現在書いているブログにとても役立っています
また漫画を描くことで右脳が鍛えられたのか想像力や発想力が豊かになりました
このように自分が頑張ってきたことはけして無駄ではないので自分を責めたりしないでくださいね
夢は1つしか駄目なんて誰も言っていない
夢が叶わないとなるとこれからどうやって生きていけばいいのかと生きるモチベーションが下がる事があります
しかし生涯で夢を1つ以上持ってはいけないとは誰も言っていません
夢は何個でも持てば良いのです
挫折しても立ち上がり夢を叶えた偉人には
・ジェームスダイソン
・安藤百福
などの偉人がいます
遅咲きの経営者として一番有名な人はやはりカーネル・サンダースではないでしょうか
ケンタッキーフライドチキンの創業者でカーネル・サンダースは名誉称号であり本名はハーランド・デーヴィッド・サンダーズになります
カーネル・サンダースは幼い頃に父親を亡くし母親は工場で働き裕福とは言えない家庭で育っています
カーネル・サンダースは10歳で農業に働きにでるがすぐに解雇をされ軍隊に入隊するもすぐに除隊しその後も鉄道関係の仕事、保険外交員、弁護士とたくさんの職を変えてきました
たくさんの職を変えた後カーネル・サンダースはガソリンスタンドの経営を始めそこに来る旅行客がお腹を空かせてやってくることに気づき物置として使っていた小さな部屋で食事の提供を始めました
こうしてケンタッキーフライドチキンが作られ人気の店舗になり45歳でケンタッキー州知事から「カーネル」の称号を与えられました
しかしその後も10年以上かけて築きあげたカフェとモーテルが火災により潰れたりハイウェイの建設でレストランが廃業になったりと色んな事がありました
レストランが廃業になってからは年金生活で暮らしていたカーネル・サンダースですが年金の少なさに心もとないと感じ今ではコンビニなどで当たり前になったフランチャイズビジネスを始めました
カーネル・サンダースは70歳近い年齢でもフランチャイズの交渉をおこない契約を断られた回数は1009回とも言われています
カーネル・サンダースの何度の挫折にも何度も立ち上がる姿に敬服しました
カーネル・サンダースの生涯を知り私が学んだことは
「夢を追うことに年齢は関係ない」
ということでした
ジェームス・ダイソン
家電販売店の掃除機のコーナに行くと必ずある紙パックなしのサイクロン掃除機ダイソンの商品
商品は有名だがこの商品を手がけたジェームス・ダイソンがどのような人物かはまだ知らない人が多いのではないでしょうか
ジェームス・ダイソンは掃除機の紙パックが一度ゴミを吸うとゴミで目詰まりし吸引力が低下することに気づきました
それはエンジニアリングやデザインを学んできた彼にとって「吸引力の低下をしない掃除機を作らなければいけない」という使命感を覚え掃除機の開発に手をかけました
しかしそのサイクロン掃除機の成功まで5年ほどの年月がかかり試作品の15台目を作った時には3人目の子供が生まれ家族を支えるためにも仕事に就けと友人から言われます
そして3727台目の試作品が出来た時には生活がカツカツになり妻が美術教室を始めます
それでもエジソンの「私は失敗したのではないただうまくいかない方法を1万通り発見しただけだ」という名言で自身を奮い立たせました
その結果5127台目の試作機が「DC01」として世の中に出て現在にいたります
私達が家電販売店でよく目にするようになったダイソンはたくさんの失敗を乗り越えて作られた物でした
失敗はうまくいかない方法を知ることができた経験になるということを学ばされました
誰もが一度は食べたことがあるだろうカップヌードルを発明した日清創業者の安藤百福氏は22歳の若さでメリヤスを販売する会社を設立し大成功を収めました
その後もたくさんの事業を成功させていくが47歳で理事長を務めていた信用金庫の倒産によりほぼ全ての財産を失います
信用金庫の倒産後はしばらく大阪の池田市の自宅に引きこもりますが
「失ったのは財産だけその分経験が血や肉となって身についた」と考え再び立ち上がることを決心しました
そして闇市のラーメン屋に並んだ人々の姿を思い出し日本人は麺好きだからお湯があれば家庭ですぐに食べられるラーメンを作れば喜ばれると考え開発に手をかけました
それからは1日平均睡眠時間4時間たった一人で研究を続け約1年ほどで世界初のインスタントラーメンをこの世に売り出しました
成功するためにはお金ではなく誰かに喜ばれたいという想いとそれまで身につけた経験や知識を無駄にしないということが必要なんだと学ばせていただきました
このように挫折をしても立ち上がり夢を叶えた偉人はたくさんいます
一つの夢が叶わないからと生きることを諦めないで新たな夢を探していただきたいと思います
生きていればまた必ず夢が出来るはずです
人生を楽しく生きるために
夢があると生きるモチベーションになり毎日が楽しくなります
だからこそ人は夢を持ち続けるのだと思います
しかし何度も挫折を繰り返すと自分が嫌いになるし何もやる気が起きなくなりますよね
だけど自分の可能性を諦めないでほしいと思います
一つの夢が駄目ならもう一つ夢を持つこと
手相占いで有名なタレントの島田秀平さんはコンビの解散で芸人を諦めるため最後の挨拶に先輩の和田アキ子さんに伺った時に
「せっかく10年頑張ってきたんだからあと1年頑張ったら」
「芸能界は1つのことだけをすると飽きられるから2つのことを何か頑張って突き止めてやってみればいい」
と言われ島田さんは趣味でしていた手相占いや怪談話を学習し段々とオファーをいただくようになったそうです
このように一つの夢が叶いそうになくても何かに挑戦していただけたらと思います
私も漫画家を諦め将来を考えて苦手だったパソコンを学ぼうとパソコン教室に行った先でブログの存在を知りブログを始めました
まさかパソコンが苦手だった私が何年もブログを続けられるなんて数年前には思ってもいませんでした
人生を楽しむためには何でもチャレンジすることだと思います
やってみて初めて気づくことがあります
だから夢が叶わなくても生きることを諦めないでくださいね
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